「私が経験すべきでなかったこと」など本当にあったのか、改めて考えていた

以前

という文章(対話記録)をここにまとめてから、私はそれ以前よりもさらに、苦しみについて考えることが増えたと思う。というより、この対話は本当にはひとつの「きっかけ・手がかり」でしかなくて、実際には生きている限り、苦しみについて考えることに終わりはないのだろうと思う。まして、今の世界の現状がこんなふうであるならなおさらだ。

だからこのような話に

「決着」

をつけようとしてもそれはほとんど無理なのかもしれないと思うし、私も結局はずっと同じようなことを少し違う角度から考えているだけなのかもしれないと思う。

ただそれを認めたうえでも、やはりこうしたことを考えずにはいられないのが今の私なのだから、また今日もここに、そんな記録を残しておこうと思う。

そして今回の思索は

今まで私が経験したことのなかに「私が経験すべきでなかったこと」などあったのか?

という、自問自答から始まる。

ただこの問いにどう答えるかを考える前に、私にはまずひとつ

「私が経験したくなかったこと(結果)」であれば、実際にたくさんある

という率直な想いが湧く。ただそれが

「経験すべきでなかったこと」

なのかどうかは、正直に言ってよくわからないのだ。つまり

私はこんなこと、経験したくなかった!だからそもそもこんなことは、経験すべきじゃなかったんだ!

と言うことが本当にできるのかということを、私はここで改めて考えてみようとしているのである。

ただ、私自身も冒頭の対話を踏まえ

とも言ったように、

苦しみにも「自分と向き合い、自分を成長させるきっかけ」になる可能性はある

ということはわかっている。

だがそれでもやはり問題なのは、

苦しみはときとして私たちを歪め、完全に潰してしまうことさえある

ということなのだ。

私たちが本当の本当に、

「あらゆる苦しみから這い上がり、なんらかの糧にできる」

のであれば、私だって別にここまで思い詰めることはしないだろう。

だが実際には、苦しみというのは文字どおり本当に苦しい。そしてそれによって完全に気力を削がれたり、意欲を喪ったり、さらに言えば自殺してしまったりすることもまったく珍しくないということを、私たちは誰でも知っている。そしてそういう瞬間や経験は、私も含めおそらく全員にあるのではないかと思う。つまりこれは単なる「知識」ではなく、

「実感」

なのである。

だからこそ、いくら

すべては「必要」だから起きるのであって、苦しみも例外ではない

と言われたからといって、それを素直に受け容れることはかなり難しいし、それは私だけではなく、おそらくあなたにも共感してもらえると思う。

それにもしそんな私でなければ、

なんて文章を書こうとも思わなかったはずなのである。

だからその意味で、私の根本的な問題意識というのは、基本的にずっと変わっていないと言っていいと思う。私は昔も今もこれからも、

どうすれば、苦しみによって自分を見失ったり、潰れたり腐ったりせずにいられるのか?そしてどうすれば、そこから這い上がって、また希望を見出すことができるようになるのか?

ということを、ずっとずっと考え続けているのである。

そしてそれはもちろん、

「私自身がずっと、苦しみを抱え、それと向き合い続けてきたから」

でもある。だから私は別にここで

「慈善事業」

をしているわけではないのだ。

私が以前

と言ったのも、

と言ったのだってそういう意味であり、結局私はただ

私自身の切実で必死な試行錯誤の結果を、もしあなたにも活かしてもらえたら嬉しいので、ここに置いておきます

と、言い続けているだけなのである。

そしてこうしたすべてを踏まえたうえで、だからこそ今私は改めて、

しあわせになりたいなぁ……。しあわせを感じられる自分になりたいし、それを本当に大切にできる自分で在りたいなぁ……

と思っている。そう、だからやはり、それが私のひとつの核心なのだ。

そして私が本当にしあわせになりたいなら、なんとしてもしあわせになるまで諦めるわけにはいかない。つまりここから、「私の答え」が見出されてくる。それは

今まで私が経験したことのなかには、やはり「できることなら経験したくはなかった」としか言いようのないこともたくさんある。ただそれが「経験すべきでなかった」のかどうかはわからない。だがいずれにせよそれが「経験してしまった・起きてしまったこと」である以上は、私はなんとしても、それを糧に成長していくしかないんだ

ということなのである。

よく、

神は乗り越えられない試練を与えることはない

などという話を耳にすることもあるが、私にはそこまで強く断言することはできない。というより率直に言えば

これは、いくらなんでもあんまりじゃないのか?こんなことを経験させられて、ここからいったいどうしろっていうんだ?

と言いたくなったことも多々ある。だからそんな私は、あなたにこんなことを言いたいとは思わない。ただ私は結局のところ、

起きてしまったことは、乗り越えるしかない

と思っているのだ。それは

もしすべてを諦めて投げ棄ててしまったら、結局は誰かの思うがままになることになるから。それにもし本当に自分が歪み、朽ち果てることを受け容れてしまったら、私は絶対に、私のしあわせ(見たい景色・望む未来)にたどり着けなくなってしまうから

なのである。私は、それだけはどうしても、どうしても嫌なのである。だって私はずっと、本当のしあわせを探し求めているのだから。

そして私は、私とあなたが

大きな痛みと深い苦しみを知るひとこそが、より大きく深い愛を宿すことになる

という仮説を共有しているという事実を、もちろん忘れたりはしていない。

だがもちろん本当には、私(たち)が間違っている可能性もある。それに今のあなたが、昔のあなたとは違う考えに至る可能性もあると思っている。だからそうなったら、いよいよ私がおかしいのかもしれない。だからこそ私は、今生で(も)こんな経験をすることになったのかもしれない。そういう可能性もあるということは、私もちゃんとわかっているのだ。

ただそれでも、少なくとも今の私は、まだ諦めてはいない。だって私がこの考えに至るまでだって、私は真剣に真剣に考え抜いたのだ。そして私もあなたも、たとえ私たちが間違っているわけではないとしても、その道を究め実証するのはとても難しくなるということくらい、最初から覚悟していたのだ。そしてだからこそ、それは独りではなく、一緒に取り組むことにしたのである。そして知ってのとおり、私は実際にはあなたよりずっと、諦めが悪いひとなのだ。

だからこうして改めていろいろ考えてみたおかげで、私は私自身の考えを、その奥底にある想いをよりいっそう理解できたと思う。つまり私は

それが「私が経験したいこと」ではなかったとしても、または「神(誰か他のひと)が試練として与えたもの」だとしても、あるいは「誰の予測すら超えた悲劇・混沌」だったとしても、それが「現に起きてしまったこと」である以上、究極的にはもはやどうでもいい。だから本当に重要なのは、「今まで経験したすべてを踏まえて、いずれは絶対にしあわせになる」という決意を、ずっと保ち続けることなんだ

と思っているのである。

それに私は最初から今まで、ずっと重かったのだ。だからそんな私が無理をして、あるいは自分をごまかしてまで大空を羽ばたく鳥になろうとしたってうまく行かないのである。だってそれは、私らしくないから。

でもだからこそ、私はずっと、

「『はるかに低い目線からの景色』にも慣れ、そこに味わいを見出しながら、1歩ずつ進んでいく」

ことの価値を、忘れずにいられている。だから私は、今までなんとか耐え忍ぶことができたのである。

そしてそんな私は確かに

苦しみはその渦中にいるときは確かに言いようがないほどつらい。だがそれを本当に乗り越えることができたなら、それは確かに自分の「力」にもなる

ということを知っている。

そして

本当はこんなにも弱く脆い私が、一方でときどき「強い」と見なされるのは、実は単に私が「今まで死ななかったから・なにがあっても結局は、『なんとしてでも今はまだ生き延びる』ことを選んできたから」なんだ

とも思うのだ。そしてそれは結局、あなたのおかげなのだ。だから私はやはり、ずっと変わってはいないのである。

だから私は、これからも今までと同じように、精いっぱい生き抜いていこうと思う。そして最終的に私たちがしあわせになれたら、そのときこそ私は心から、今までのすべての経験に感謝し、それが「必要」だったと思えるようになるだろう。

そう、だからその意味では、すべては

「結果論」

でもあるということなのだ。そしてこれはつまり

いつの時点を「結果」と見なすかは、自分自身で決めていい

ということなのである。

だとしたらやはり、私が「結果を確定させる」のはまだあまりに早すぎるだろう。だから私が経験したことや哀しみ、葛藤や痛み苦しみが本当に「必要」だったのかは、まだわからないのだ。だがもしかしたら、

あせって「結論」を出す必要はない

ということ自体が、そもそも愛の顕れなのかもしれないとも思う。そしてそう思える私になったことも今までの経験のおかげだとするなら、やはり

「私が経験すべきでなかった」ことなど、本当はひとつもなかった

と言ってもいいということなのかもしれない。だとしたらなんと言うか、まったく、やれやれである。だからと言って私はここで「満足している」わけでは決してないのだが、とにかく今日のところは、ここで終わりにしよう。そしてまたこれからの1日1日を、なんとか生き抜いていこう。結局はそれがすべてであり、それ以外の道はどこにもないということを、私はもう、よくわかっているのだから。

ただこれはあくまでも

「私自身が感じてきた痛みや苦しみ」

についての話であり、この考えを以って

「私が周りに与えてしまった痛みや苦しみ」

についてまで、

結局はぜんぶ、あなたにとって必要な経験だったんだ!

などと開きなおって責任を逃れるつもりはまったくありません。

そのうえ私はいつまで経っても未熟者なので、これからもあなたや誰かを傷つけることもないとは言えないのが実にどうしようもないところなのですが、とにかく今までのことについてはいつも心から反省し、なんとしても今後に活かしていきたいと、いつもそう思っています。

そしてだからこそ軽々しいことを言うわけにもいかないのですが、今まで私のせいで苦しんだり傷ついたりしたあなたには、改めて心から謝りたいと思います。

本当に、本当に、ごめんなさい。

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  1. 点火春の歩 より:

    似たような事をしばらく考えていました。

    去年の9/1に「地獄」を経験し、病状が悪化しました。今もとても苦しい。

    しかし、

    「去年の8/31に戻って、病状悪化の原因を回避できるなら、過去に戻りますか?」

    と聞かれれば、私は少しだけ悩むだろうけど、必ず

    「いいえ、戻りません、このまま進みます」

    と答えます。

    この1年間は本当に生き地獄でしたが、その中で得られた「喜び、気づき、成長、成果」を腑に落としているからです。特にこの「成果」は記憶を保って去年の8/31に戻っても、同じものを創り上げる事はできないと思うから。

    苦しみの最中にいる時は、こんな綺麗な思考は出来ません。今度また地獄を味わったら自殺してしまう可能性だってあります。しかし私は起きてしまった事を受け止め最後まで生き抜きます。悩むことはあっても、もう迷いません。もう人に苦しみを押し付けたいとも思いません。逃げたり受け止めたりしながらでも、生きて行けば、笑える日が来るっていう事を実感できましたから。

    • Dilettante Dilettante より:

      点火春の歩さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      そうですね、あなたが

      苦しみの最中にいる時は、こんな綺麗な思考は出来ません

      とおっしゃるのは本当にそのとおりだと思いますし、だからこそ

      今度また地獄を味わったら自殺してしまう可能性だってあります

      とおっしゃるのもよくわかります。実際私にだって、その「可能性」は常にあると思っていますからね。

       

      それにあなた自身も、一方では

      今もとても苦しい

      とおっしゃっているとおり、実際にはあなたにもまだまだ多くの葛藤や浮き沈みがあるだろうとも思うのですが、それでも今のあなたが最終的に

      しかし私は起きてしまった事を受け止め最後まで生き抜きます。

      逃げたり受け止めたりしながらでも、生きて行けば、笑える日が来るっていう事を実感できましたから。

      という気持ちに至っている・それを選べているということを、私もとてもありがたく嬉しく思っています。

      それにそれをこうしてこの場に公開したことで、あなた自身もまたいつでも、これを読み返せるわけですからね。

      つまりそれはまたいつかあなたが落ち込み沈んだときに、

      「自分自身からの激励」

      として、きっと役に立つだろうと思うんですよ。

      気持ちや感情というのはよくも悪くも簡単に変わり得るものであるというのはあなたもよくご存じのことと思いますが、そうしたすべてをも記録して共有できるこの場所が、私だけでなくあなたにとっても少しでもいい場所として活かされることを、私も心から、ずっと願っています。

      これからも、どうぞよろしくお願いします。

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