「自分自身より大切なものがある」というのは、狂気でも間違いでもないと私は思う

もっと自分を大切にしてください

というようなことを言われることがある。それにあなたも、そんなことを言われたこともあるのではないかと思う。

これは第一に、私への気遣いと慈しみによるものだというのは、もちろんわかっている。それに

自分を大切にすることができないなら、本当の意味では誰のことも大切にはできない

という考えを保つひとがたくさんいるのも知っている。そして私は別にそのような考えに真っ向から反論したり対抗したりしたいわけでもない。ただもしあなたが私と同じように

「自分を大切にする」というのは、どうも苦手だなぁ……

と思っているとしたら、あるいはあなたの周りにそういうひとがいて、どうしてもそのひと(たち)の行動を理解できなくて混乱するときがあるとしたら、今から示す私自身の一例も、ひとつの参考にしてもらえたらと思うのである。

まず最初に、これはとても大切なことだと思うのだが、私が自分を大切にするのが苦手なのは、別に

自分を大切にする気がない(自分にはまったくなんの価値もない)

と思っているということではない。私はただ

私には自分自身よりも大切なものがある(自分自身以上に価値があるものがある)

と思っているだけなのである。

だから逆に言えば、

もし私が「自分よりも大切なもの」を見つけられていなかったとしたら、私は自分自身をもっと大切にしていただろう

と思う。ただ私は、今の私は、そうではないのだ。そして私はそれを、今の私に「自分よりも大切にしたいもの」があることを、とてもいいことだと思っているのである。

これはむしろ魂や霊の話をいったん措いて、肉体人としての視点で考えたほうがわかりやすいとも思うのだが、たとえ私がどんなに自分を大切にしたところで、私の人生はいずれどこかで終わる。だがもし私がなにかをずっと大切にし続けることができたら、それは私の死後も残る。だからその意味において、私からすると

この考えは、実のところとても「合理的」なのではないか?

と思えるのである。そしてこれは

永遠というのは、自分独りで味わうにはあまりにも永すぎる

という意味でもある。つまり

そもそも誰を大切にしようがしまいが、私たちは誰もが本質的に「永遠の存在」なんだ。ただだからこそ「その永遠をわかち合える相手がいる」ことは、自分自身よりもはるかに大きな価値がある

ということなのである。

そしてこの「相手」というのは、別に

「ひと」(同族の誰か)

に限ったものでもない。だから場合によってはそれが「場所」だったり「モノ」だったり、あるいは特に

「作品」

だったりすることもあるだろう。実際、

あのひとはいのちを削って(魂を注ぎ込んで)作品を生み出しているようだ……

などと評されるひともときどきいて、その苦労(心労)も相まってか、平均寿命よりずっと早くに死ぬ場合もある。ただそれでも、そのひとたちは別に「愚か」だったわけでも、「無謀」だったわけでもないだろう。

そのひとたちにとっては、そうした作品づくりが、生きることそのものだったんだ

と思うからだ。そしてそのひとたちの作品は、たとえ「未完」で終わったとしても、そのひとの死後まで遺ることになる。だからこれを

あのひとたちは、死後もなお「自分が遺したもののなかで生きている」んだ

ということもできるだろうと、私はそう思うのである。

だから私は、

たとえ誰かが「自分を大切にしていない」ように見えたとしても、自分以外のなにかに精魂を注ぎ込んでいるとしても、それが「狂気」や「間違い」だとは限らない

と思っているのだ。

とはいえ、ここで改めて強調しておきたいのは、私は自暴自棄になろうとしているわけでも、それをあなたに勧めているわけでもないということだ。ただ私は

自分自身にも価値があり、責任や役割があることは確かだし、それは誰でもそうだ。ただ「それを重々承知したうえで、それでも自分以上に大切にしたいものがある」と言うのなら、それもそれでかけがえのない選択であり、「自分(永遠)の活かしかた」なんだ

と思っているだけなのである。言い換えると、これは

彼らは本当には自分を大切にできていないわけでもない。ただ彼らは「『自分より大切なもの』を通して、『そこにかけがえのない価値を見出せる自分』を大切にしようとしている」んだ

ということなのだ。だってそれが、今の自分を支えているものなんだから。それがあったから、自分自身をここまで育むことができたのだから。だから私は先に挙げた

自分を大切にすることができないなら、本当の意味では誰のことも大切にはできない

という考えの力を充分に認めたうえで、だからこそ

本当になにかを大切にすることができたなら、それは自分自身を大切にすることと同じなんだ

と、そう思っているのだ。だからこれは別に、どちらかが正しくてどちらかが間違っているというようなことではない。だってこれは結局、

「同じことを逆の角度(入口)から言っているだけ」

だと思うから。そして私は、この角度から見る景色のほうが、ずっと性に合っているということなのだ。本当は、ただそれだけのことなのである。

ただ、こんなことを言っている私自身も、一方では

あなたは結局、自分のことをいちばん大切にしているだけじゃないですか!

と言われることがある。だから私だって、ちゃんと自分を大切にしているのである。つまり結局は、そんなにたいしたことではないのだ。自分自身を大切にするからこそ、自分より大切なものを見つけられる可能性もある。だがそうやって「自分より大切なもの」を見つけられたからといって、それが「偉い」わけでも「立派」なわけでもないのだ。ただそれは、

「それぞれの生きかた・好み」

なのだから。しかもそれは別に、途中で変わってもかまわない。いずれにしても、私たちはまだまだ生きなければいけないのだから。だからあとはそこにどうやって「本当の満足感・しあわせ」を見出していくかという、ただそれだけのことなのだから。

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  1. だれか より:

    一度メールしてるので確認していただけたら嬉しいです

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