「苦しんだぶんもっと見返りを」。それは一見「当然の要求」にも思えるが、そこには大きな落とし穴が隠されている

今の私たちの世界では、みんな誰もがそれぞれの哀しみや葛藤、もっと言えば痛みや苦しみを抱えて生きていると言ってもいいと思う。

言い換えれば

なんで私の人生はこんなに苦しいんだ!こんなことなら、もうやめてしまいたい!自分は、なんて不幸なんだ……

というような気持ちをいちども抱いたことがないひとは、きっとどこにもいないのではないかと私は思うのである。

それに逆に、もしあなたが

いえいえ、私は生まれてからずっと、自分を不幸だなんて思ったことはありません

と言うのであれば、私はあなたを心から尊敬する。ただ同時に、私はあなたのことを、とても優しいひとなんだとも思う。だからこそあなたは

このくらいのことは、誰にだってある

世界には、今の自分よりもっと過酷な状況で生きているひともたくさんいる。だったら私がこのくらいのことで自分を不幸だなんて哀れむわけにはいかない

と思うことができるんだと思うから。

だから私はそんなあなたをまず第一にとても立派なひとだと思う。ただそんなあなたでさえ、本当の本当は、悩んだり苦しんだりした経験もあると思うのだ。たとえそれを「不幸」と見なすことはないとしても、やはりこの世界に生きるうえで「厳しい状況」に追い込まれることがまったくないとは、私にはどうしても思えないのである。

とはいえもちろん、今のあなたがとてもしあわせな状況にいるのであれば、私はそれを本当に素晴らしいことだと思うし、なんとかして最後までそのままで行ってほしいと、心から願っている。ただおそらくそういうひとはこの『闇の向こう側』を見つけることはないのではないかと思うし、仮になにかの拍子で目にしたとしても、わざわざ長く居座ることはないだろうと思うのだ。しかもあなたもきっともう気づいていると思うが、

もし私がそんなしあわせを感じられているんだったら、そもそもこんな場所を創るはずがない

ということなのである。だから私はここにいて、少なからず同じような気持ちを抱えている、あるいは抱えた経験のあるあなたに向かって、こんなことを書き続けているのである。

そしてそんな私は、だからこそ

と書いた。これは当時の私の状況も相まって、数ある文章のなかでも特に私の想いが凝縮されている文章のひとつだと言えると思うし、もちろんその気持ちは、今も基本的にまったく変わっていない。そしてあなたもこの文章を励みにしてくれているのであれば、それは私も本当に嬉しく思う。

ただだからこそ、私は今現在もこうした苦悩や不幸の渦中にいる、あるいはそれを過去に乗り越えたうえでようやく違った景色が見え始めてきているあなたに、

「そんな私たちこそが注意しなければならない、大きな落とし穴」

の存在を、今のうちにぜひ示しておきたいのだ。

それはつまり、

自分は今までこんなに苦しんだんだから、もっと大きな見返りがあって当然だろう?そうじゃないと、絶対に不公平じゃないか!

というこの感情、言い換えれば要求のなかに隠されているものなのである。

悩みや葛藤、あるいは苦しみや痛みを感じ続けるのは、本当につらい。それは文字どおり心身を貫き、魂そのものを抉られるような経験だと思う。だから私は、そんな状況のなかでなお生きることを選んだあなたのことを、本当に素晴らしいと思う。

そしてそこからときが経ち、あなたがその苦しみを乗り越え、少なくとも当時よりはいい心境にいられるところまで来たとしたら、それはなおさら素晴らしい。本当に、よかったと思う。だが私の言う「落とし穴」は、こんなときのあなたにとってこそ危険なのである。

本当に本当に苦しみのどん底にいるときは、よくも悪くも視野が極限まで狭くなっているので、そのほとんどは結局のところ自分の苦しみで満たされることになる。

だがそこからなんとか這い上がって、浮き沈みや紆余曲折はありながらもほんの少しだけ余裕が出てきたひとは、今度は「自分の周り」を見ることができるようになるということだ。

するとあなたももしかしたら、

自分は死ぬ思いをして這い上がってきたこの場所に、最初からこんなにたくさんのひとがいた……。自分がようやく手に入れた境遇は、他のひとにとっては「なんの意識も努力も要らずに、最初から当たり前にあったもの」だった……。じゃあ自分はあんなに苦しんだんだから、こんな「当たり前のもの」をもらったくらいじゃ割に合わないじゃないか!自分にはもっと大きな見返りがあるべきだ!そうじゃなきゃバランスが取れてない、まったくの不公平じゃないか!

と思ってしまうかもしれない。しかもこうした想い・考えは実際かなりの力を保っていると思うし、それどころかともすれば

「当然の要求」

にすら見えてくるかもしれない。だがそれを認めたうえでも、私はやはり

だからこそそれこそが「とても危険な落とし穴」なんだ

と、あなたに強く注意を促したいと、そう思うのである。

ただこれだと私の言いたいことがなかなか伝わらないかもしれないので、ちょっと無理をしてでも話を簡単にしてみよう。

だからとりあえず細かなことはできるだけ省いて、

「しあわせを+、不幸を−で表す」

とする。

そうするとこの話は

俺は−1億点まで堕ちてたことがある。それをようやく0にできたからって、こんなんじゃ満足できるわけがない!だから俺は当然、+1億点を要求する(味わう)権利がある!

という想い・考えをいったいどう受け止めればいいかという話になるわけだ。

ここでいったんこのひと自身から目を移して、他のひとのほうを見てみることにしよう。そしてそこでその他のひとたち、特にその道の歩き始めたばかりのひとたちは、0点から100点までの間を行ったり来たりしていることがわかったとする。ましてや以前

でも触れたとおり、

この道を歩き始めてもうかなり経ったひとたちでさえ、その平均点はわずか1点(1%)ほどでしかない

んだとしたら、この時点で

あのひとが+1億点を望むのは、そこに「しあわせの基準」を置いてしまうのは、明らかに無謀だ

と言うしかないことがわかるだろう。しかも私がなぜそれをそこまで心配するかと言えば、

しかもあのひとがもし+1億点を「しあわせの最低基準」としてしまうなら、あのひとはたとえ60点、それどころか100点や120点を取ったとしても、まったく今と変わらない不満や不公平感を保ち続けることになるんだ

と思うからなのだ。だから私はこれを、

「あまりに危険な落とし穴」

だと、そう思っているのである。

私たちがたとえどんなに苦しい経験をしたとしても、それでも私たちはみんな、最終的には誰もが、必ずしあわせになれる。少なくとも私はずっとそう信じているし、逆にもしそうでなかったら、私はそもそもここにいない。だから誰がなんと言おうとそれは今の私の核心を成す信念のひとつなのだが、だからこそもしあなたがこの「落とし穴」に落ちてしまって、「しあわせの最低基準」をあまり高く設定してしまったら、そしてなによりそのことでますます苦しんでしまうとしたら、私はそれをなんとかして避けてほしいと思うのだ。だからこそ私は

たとえあなたが−10億点、それどころか−100億点を経験して、そこから這い上がってきたんだとしても、そのスケール(縮尺・目盛り)ですべてを計るせいで、60点や100点でさえも喜べなくなったら、それどころかそれすらも「不幸」(しあわせの最低基準にほど遠い)と見なして、他のひとを妬んで憎んで、終いには負の霊になったり暴れまわったりしてしまったら、それはあまりに哀しすぎるでしょう?

と、心からお伝えしたいのである。

ただ私がどんなに言っても、あなたは

じゃあ俺のあの苦しみは、いつ終わるとも思えない、永遠に続くかと思ったあの日々は、いったいなんだったんだ!何度も諦めたくなって止めたくなって、自分のすべてを否定して消えたくなった、そんな日々の見返りが「みんなと変わらない・当たり前で平均的なしあわせ」でしかないんだとしたら、そんなのあんまりじゃないか!じゃあ俺はなんのために、ここまで生きてきたんだ!!

と、そう思うかもしれない。それにこの気持ちは、私にだってわかる。本当にそうなのだ。だが私はそれでもだからこそ、

その苦しみは、決して無駄にはならない。その底(0)を突き破ってはるか底の底まで堕ちたその経験は、そしてそこから「みんなが見えるところ・他のみんなが当たり前だと思っているところ」まで這い上がってきた経験は、あなたの「かけがえのない深み」になったんだから

と、そう言いたいのだ。それに実のところ私がいちばん強く伝えたかったのは、まさにこのことだったのである。

どんなことがあってもしあわせでいられるなら、生まれてからいちども苦しんだり不幸だと感じたりなんてしたことがないと言うなら、それは素晴らしいことだ。だがだからこそ、もしそのひと(たち)

「初めての強い苦しみ・どうしても苦しまずにはいられない経験」

に直面したとき、それをどうしていいかわからずに壊れてしまうとしたら、それはあまりにも哀しいことだ。

だがそのときに

「ずっとずっと苦しんできたひと・深い地の底であがき続けてきたひと」

の経験が支えになるのだとしたら、そのとき私たちは、なにを感じるだろう?

私たちは別に苦しみたかったわけではないし、「いずれ誰かの役に立つために自分を犠牲にしてきた」わけでもない。それにこれから世界がどんどんよくなっていくのであれば、そんな苦しみの経験など、また

「過去の遺物」

として風化する運命にあるようにしか見えないかもしれない。

だが私は、今までの経験を素直に振り返ったうえで、

たとえどんなに素晴らしい環境であっても、そこには必ず「それなりの浮き沈み・ジグザグ」がある。たとえどんなに長く続いた喜びと調和の状態があったとしても、油断すれば必ず「強烈な揺り戻し」が起きる。そしてそれが本当に恐ろしいのは、「『自分が油断していることにすら気づかないとき』にこそ、実はいちばん油断しきっている」ということがあるからなんだ

と思わずにはいられないのだ。まして

地球は別に「今の宇宙で最後に残った最悪の環境」というわけでもないし、むしろこの「ひとつの難所」を超えた経験を基にして、これから他の星や環境に応用していく始まりになる

というのであれば、間違いなくこの経験はこれからもあらゆる場所で活かされることになるのだと、私はずっと確信しているのだ。だからこそ私は、ずっとこの地球に懸けてきたのだから。そしてそれは多少の差こそあれ、きっとあなたとも共通しているはずだと、だからこそ私たちは今ここで一緒に生きているんだと、私はずっと、そう思っているのである。

だから私たちは別に、運が悪かったわけでも、できが悪かったわけでもない。もちろん、特別にいじわるをされたわけでもない。究極的には

ただ私たちは、「そういう経験をした・そういう経験をする環境にいた」というだけなんだろう

と、私は思っているのである。

そのうえであとはそれをどう受け止めてどう活かすも歪めるも自分次第なんだとすれば、私はそれを、妬みや不公平感の種にはしない。だってもしそんなことをしたら、私はしあわせからますます遠ざかってしまうから。

だから私はそれを、その「マイナスの経験」を、私の深さとして身につけよう。そしてたとえ何度同じようなところにたたき落とされても、必ずまた這い上がってこよう。しかもこれは本当は、別に「周りとの競争」でもないのだから。だからその「評価基準」は、自分で決めていいのだ。たとえあなたと誰かが表面的には同じ「0点」であったとしても、あなたが−1億点から這い上がってそこまで来たのだとしたら、そこまでの

「累計獲得点数」

はあなたのほうがずっと多い。つまりそれこそが

「かけがえのない経験」

と呼ばれるものであり、それをあなた自身が知っているのなら、あなたは別に誰と比較することも争うことも必要ない。私たちがなにをしてきたのかを私たちが知っているのなら、それを思い出して確かめるだけで、私がなぜそこにいるのかを疑う必要はなくなる。私はただずっと、そう思っているのである。

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