迷い、葛藤、そして苦悩。あなたの「選択の結果」がどうであれ、私はその「勇気」を讃えたい

先日私は

という文章をまとめた。そしてそこでも私の考えはある程度書けたとは思ったのだが、今回はそれを踏まえたうえで、また少しだけ違った視点から、一緒に考えを深めていこうと思う。

こないだも言ったように、私たちの人生は「選択」の積み重ねでかたちづくられていく。だからそのひとつひとつの選択こそが、まさに人生を根本的に左右するのだが、ここでとても重要なことは

その選択がどんな結果につながるかは本当には「選んでみる(やってみる)までわからない」し、「いちど選んでしまったら、過去に戻ってもういちど選びなおすこともできない」んだ

ということだと思う。

これは言ってしまえばあまりに当然のことではあるが、よく考えれば考えるほど、これは本当に本当に切実なことだと思うのである。

もし私たちがなにかを選ぶときに

こっちは不幸につながる道で、こっちはしあわせにつながる道なんだな

ということがはっきり見えているなら、私たちがどれほど選択しやすくなるかは、言うまでもないと思う。もちろんそのうえで

じゃあ私は最近どうもパッとしないから、ここはちょっと「不幸」に飛び込んで自分を鍛えよう!

と思うひともいるとは思うが、それなら単に

「好み(目的)の違い」

であって、文字どおり「それぞれが好きにすればいい」という話でしかない。

だが実際に私たちがなにかを選択する際には、そんな「選択の結果」どころか、

「この選択肢がどんな可能性や特徴を帯びているのか」

すら、事前にはほとんど明示されない。だからその意味で

なにかを選ぶことは、本質的に「賭け」でしかないんだ

と、私はそう思うのである。

とはいえもちろん実際の決断にはそれぞれ重さ(重要度)の違いがあるし、たとえば

「インターネットなどで様々な情報、それに実際にそれを使用しているひとの口コミなども吟味したうえで、どの家電製品を買うかを選ぶ」

というような場面では、ある程度の「結果の見通し」が立つこともあると思う。またこれが

「今日の昼食はなににするかを考える」

というくらいのことだったら、別にその選択がもたらす影響はさほど大きくないかもしれない。

だが私たちが人生で決断しなければいけないことは、実際にはもっと重要なことも数多く含まれている。たとえばこないだの文章でも例に挙げた

私はどこに住もうか?

私はなにをして生きよう(どんな仕事を選ぼう)か?

私はどんなひとと関わっていこうか?

というような問いに対する選択もまさにそうで、こうした選択のひとつひとつは、文字どおり私たちの人生を根底から左右することになる。そしてそうであるにもかかわらず、私たちはそうした選択のひとつひとつを、無限に検討し続けることはできない。つまり

どこまで考えてもはっきりとした結論は出ないのに、そしていちどそれかを選んで未来に踏み出したら決して後戻りはできないのに、それでもいつかは「踏ん切り」をつけて選ぶしかない

ということ、これはやはりどう考えても、本当に大変なことだと思うのである。

だから私たちは、そうしたひとつひとつの選択に迷い、葛藤し、苦悩することになる。そしてこれはどうしようもなく当たり前のことだと思う。だってそれは、本当に難しいのだから。そしてそういった選択の先に様々な「結果」を受け止めることになったとき、私たちはまた一喜一憂することにもなると思うし、それも私たちの日常だと言っていいと思う。

だからこそそれに対して

たとえあなたが思ったとおりの結果が得られなかったとしても、たとえ何度「失敗」したとしても、それでも決して絶望したり、すべてを諦めてしまったりはしないでください

と言ったのがこないだの文章なのだが、私は今回ここでそれに加えて、

たとえあなたの選択からどんな「予想外の結果」が起こったとしても、あなたがその選択・決断に至るまでには、あなた自身ですらも自覚しきれないほどの迷いや葛藤、それに苦悩があったと思います。だから私はあなたが「その本当に難しい状況のなかで、とにかくあなたの責任でなにかを選択した」という勇気それ自体を、心から讃えたいです

とお伝えしたいのだ。これが、私の率直な気持ちなのである。

なにかを選ぶということは、本当に本当に難しい。しかもたとえ「なにも選ばない」ことにしたとしても、それ(誰かに委ねること)自体がひとつの「選択」になるのだから、そうなると実際にはもうどうしようもないとも思う。本当にそう思う。

だがそんななかで、あなたはとにかくなにかを選んでいる。最も素朴に言えば、そもそも

「こんなタイミングで、こんなところに生まれてきた」

こと自体がそうだし、これももはや言うまでもなく、本当に難しい決断だったと思う。

にもかかわらず、あなたはここにやってきた。そしてそのうえで、さらに日々の選択をし続け、人生の難しい舵を取り続けている。これは本当に本当に、勇気ある決断なのだ。もしあなたがそう思えないとしたら、それは単に

「その勇気を振り絞ったひと同士」しか、ここには来ていないから

でしかない。つまり

いずれ「あなたとほとんど似たような境遇にありながらここに生まれ変わらなかったひと」がどれだけいるのかを知ったら(思い出したら)、そのときあなたも「いかに自分が勇気を振り絞ったのか」を理解できる(思い出せる)だろう

と思うのだ。だから私はその事実を、単に少しだけ早めにお伝えしているだけなのである。

だから究極的には、たとえあなたが今生でしあわせを感じられることがなかったとしても、それでも私はあなたを讃えようと思う。これは皮肉でもなんでもなく、単なる「事実認識」である。

「勇気がなくてなにも得られなかった」ひとと、「勇気を出して踏み込んだ結果不幸になったひと」とでは、どちらがましなのか?

と訊かれたら、その答えは簡単には出せないと思う。それになにより、あなたがそんな「不幸」を得るために勇気を振り絞ったわけではないということはわかっている。だからそれは本当に悔しいし、哀しいし、切ないことだ。その気持ちはわかる。本当に重々わかっている。

だがそれでも、少なくともあなたは勇気を出したのだ。だから、こんなにも難しい選択に、どうなるかわからない未来に、自らの意志で踏み込むことができたのである。だから私は、そのことを心から称賛しようと思う。たとえ誰になんと言われようと、あなたにすらわかってもらえなくても、私は心の底から、あなたの勇気を讃え続けよう。私は、そう思うのである。

そしてそのうえで、もし私たちが本当に失意のなかで今生を終えることになったとしたら、そのときはまたお互いのみやげ話を持ち寄って、次の一手を一緒に考えよう。たとえ結果が芳しくなかったとしても、私たちは最初から間違い続けていたわけではないのだから。少なくとも私たちが「勇気を振り絞ったこと」は、絶対に間違いではないのだから。そしてその結果として、ともかく私たちはまた

「貴重な経験」(次の選択に活かす素材)

を、手に入れることができたのだから。

ただもちろんそれはそれとして、私たちの人生はまだ終わっていない。だから私も日々の選択を、よくよく考え続けようと思う。なんとかもう少し、勇気を振り絞ろうと思う。それにそもそもあなたが生きていること自体が、私に勇気をくれているのだ。だから私は今日もこれからも、そうやってあなたと一緒に生きていこうと、そう思っているのである。いつも本当に、ありがとうございます。

ただ、このような観点から見れば、

自殺するのだって本当に難しい選択なんだ!俺は迷って葛藤して悩んで、それでもどうしようもないと思ったから、こうして自殺しようとしてるんだ!

と言うこともできるということになると思いますし、それは私もわかっています。

つまり私は

自殺を決断し実行するのにも、凄まじい勇気が必要なんだ

ということ自体を否定するつもりはありません。

ただそれでも私は

私は確かに「あなたの勇気を讃えたい」と言ったけれど、でもその「自殺の勇気」だけは、同じように称賛するわけにはいかないんんです

と言うしかありません。それは結局のところ

「自殺の勇気」は「どうしても報われないもの」であることが、少なくとも私にとってはあまりにも明らかだから、その立場にいる私がその「勇気」を讃えることは、どうしてもできない

ということなのです。

こうした私の根本的立場は、ときとして本当に受け容れにくく感じられるかもしれませんが、私は決してあなたの苦しみや苦悩を軽んじているわけではないということ、ただ私としてはどうしてもこのように言うしかないんだということをおわかりいただければと、そう思っています。

どうか、よろしくお願いします。

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