どうしても棄てられない願い。たとえ誰が諦めたとしても、私はまだ諦めない

今の時代に生きるのはなかなかつらい。少なくとも、そこには様々な葛藤がある。私はずっとこうした立場に身を置いているし、だからこそ

を真似することは私にはまだ難しい。それにそもそも前から言っているとおり、

それを言うなら今の世界の在りかたはほとんどまるごと間違っているんだろう

と私は思っている。そう、だからこんなにも間違った世界のなかで生きるのに苦しみを感じているあなたの感覚そのものは、きっと正しい。それが今の私の、率直な想いなのだ。私はちゃんと、それを認めてはいるのである。

だがたとえそれを認めたうえでも、私はあなたの自殺を止めようと必死になる。それは本当に本当に、最初から一貫した態度である。

今のこんな世界で生きることは苦しいことだと、それを苦しく感じるのは間違いじゃないと言いながら、それなのになんで自分が死ぬことは認めてくれないんだ!

と言われたら、それは確かに私が死後の世界(永遠)の存在を理解し(信じ)ているからでもあり、だからこそ何度も何度も

と伝え続けているわけなのだが、だからと言って私は別に「あなたのためだけ」にこんなことを訴え続けているわけではない。つまりこれは実際には、間違いなく

「私自身のため」

でもあるのである。

「自殺する」ということは、単に

「自分のからだを殺す」

ということに留まる行為ではない。少なくともそれは私にとって

「強烈な呪いを遺される」

ことを意味する。それは

私は「この世界にはこれ以上生きる価値などない」と判断した!だから私はもうここから出ていく!

という強烈な宣言だからだ。するとそれを受けた周りのあらゆるひとたちは、否応なくその宣言と対峙せざるを得なくなる。そしてそれは言い換えれば、

俺にとって無意味無価値で苦しみしかなかった、たとえ喜びや満足があってもそれはほんの一瞬で、すぐに圧倒的なつらさや苦しみが覆いかぶさってきたそんな世界に、お前はまだ意味があると嘯くのか?

という強烈な問いである。そしてこの威力はその自殺者を大切に想っていたひと、深いつながりを感じていたひとであればあるほど大きなものになる。そしてそれは明らかに、強烈に、マイナスの方向に作用する。だから私はこれを

「呪い」

と呼ぶのだ。それに少なくとも私にとっては、たとえ本人自身はそれまで「見ず知らずのひと」であったとしても

またひとり自殺を選んだひとがいる。またひとり「この世界を根底から否定して去った」ひとが増えた

ということ自体が、どうしようもない「痛恨の一撃」になるのだ。だからやはりそれは、私にとって「呪い」でしかないのである。

またその「呪い」はさらに言い換えれば

「諦め」

でもある。そしてそれは

今までもたくさんのひとが勇気を削られ心を折られ諦めたのに、俺でさえそうだったのに、お前はまだ諦めないのか?自分の考えが間違っていたんだと思わないのか?だったらお前はもう、完全なバカなんじゃないのか?

という問い詰めでもあるのだと私は思う。

この世には改善の余地がある

未来には計り知れないほどの可能性が秘められていて、そこから実際にどんな未来が生まれるのかには、自分自身も影響を与えることができる

ということ、こんなことは誰だってわかっていたのだ。だからこそ、みんな自ら望んでここに生まれてきたのである。

ただ問題は、それが実際にはあまりにも難しかったということ、そしてこの世界の病みや歪み具合は、傍から見ている以上にひどかったということなのである。だから

こりゃいくらなんでも、さすがに無理だろ。もうずっと前に手遅れだったんだよ。ここでこれ以上あがいたって、もう無駄だ。それでもやるって言うならそれはもう自己満足っていうか、「自分に酔ってるだけのバカ」でしかないだろ。だからここまで来たら、「諦めないほうがおかしい」んだ。結果が決まっているのにそれを引き延ばしたって、それはただ「被害を拡げてるだけ」じゃないか?

と言われることになるのだ。そして私もそんな気持ちをまったくわからないわけではない。むしろそれは本当に、「相当な説得力のある意見」だとも思う。本当に、そう思うのである。

だがそこまでわかっていてもなお自分自身は諦めきれずにいるひと、それが私なのである。だから私は自他ともに認める

「どっかのネジが吹き飛んでいるんじゃないかと思うくらいに諦めが悪いヤツ」

なのだ。

でも私は、あなたの行動や選択になにも感じていないわけではない。

俺はお前ほど強くないから、俺はお前のようにはなれないから、だから俺とはここでさよならだ

あなたみたいに機械みたいなひとには、本当に弱いひとの苦しみはわからないでしょう!

と言われて、私がどれだけ傷ついたかは、それこそあなたにはわからないのかもしれない。

でも私は別に、「先に去ったあなたより強いから生きている」わけではないのだ。ただ私は

「まだ諦めきれないから生きている」

だけなのである。

しかもあなたは本当の本当は、私がいかに諦めが悪いかをよく知っていて、

お前なら、俺が諦めても諦めないでいてくれるよな?

あなたは結局なにがどうなろうと、最後には生きる道を選ぶんでしょう?

という気持ちで、私に好き勝手に諦めや呪いを刻み込んでいったんだろう、少なくともそんな気持ちがまったくなかったとは言えないだろうと、私はそうも思うのである。

だからそういう扱われかたに対しては、私だって

冗談じゃない!あなたたちはいったい私をなんだと思ってるんだ!

と言いたい気持ちもある。これは言い換えれば

そうやって私にいろんなものを託して、「私はどうしたって投げ出すわけにはいかない状況を作って、そのうえで自分は先に降りてしまう」なんて、ちょっとひどすぎるとは思わないの?

という猛抗議でもある。だが結局誰がなんと言おうとあなたは去ってしまって、私はまだここに残されている。だとしたら私には、これ以外に道はないのだ。あなたも知っているとおり、これが私なのだから。私は今までもずっと、こうして生きてきたのだから。

でもたとえそうしたことが事実だとしても、それでも私は最終的には私がここにいることを、私がまだすべてを諦めきれずにいることを、あなたや誰のせいにもしない。私がまだ諦めていないのは、私が諦めたくないからだ。私がまだ生きているのは、私が生き続けることを選んだからだ。もちろんあなたたちのすべては私に明らかな影響を与えたし、それは未だに私から消えることはない。だがそれでもそうしたすべてを踏まえたうえで、最後の決定を下したのは私自身なのだ。だから私は別に、あなたを責めているわけではない。たとえあなたがどう思おうが、私があなたを責めたいと思ったことなんて、一瞬もないのだから。

だから私は私の責任において、まだ生きることを選ぶ。そしてたとえこれから先さらに何人が諦めようと、それを私自身が諦める言い訳にはしない。私が諦めるのは、私が心底諦めたいと思ったときだけだ。別に私にだってその選択肢そのものはいつも見えている。ただそれを選ぶのは、まだ早すぎる。結局すべては、ただそれだけのことなのである。

それに私自身は、別に意固地になっているわけでもない。つまり私にはまだ、か細くも成算が見えている。それはつまり、私は結局は

この世界が本当に素晴らしい世界になる可能性は、ここから本当に素晴らしい未来が実現する可能性は、まだまだある

と思っているということなのだ。そしてこれはあらゆる呪いや諦め、それに痛み苦しみ葛藤を吸ってなお、まだ潰れずかき消されずにここにある。だからこれを崩すのは、少なくともそう容易ではないということだ。

だとしたら、あとは

「今まで途方もない努力を重ねても変わらなかった(変わったと思えなかった)現状の病み歪み」と、「ここまで何度も叩き潰され、しかも最初からこんなにも病んで歪んでいたのに、それでも最後の希望だけは棄てずにいる意味不明な私」と、より多く深い想いを宿しているのは、いったいどちらなのか?

という話だとも言えるかもしれない。そして言うまでもなく、現状は一見すると明らかに私が劣勢である。だが私は、劣勢であることには慣れている。だって私はむしろ「最初から明らかな優勢に立ったこと」なんてないのだから。だから結局すべては、「見てのお楽しみ」なのだ。私はこんな人間だけれど、笑うときは笑っているのである。だから私は、まだ諦めていない。諦めるにはまだあまりにも、早すぎるのである。

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  1. まさ より:

    この弱い肉体に生命が植え付けられているのは、それ相応の意味があるはずだと思います。

    学力も学歴も、才能にも若さにも、偉大な両親にも恵まれた私の姪は、昨年1月に精神疾患と診断され、そのわずか4か月後、22歳で命を絶ってしまいました。

    悲しい出来事ですが、おじである私もおばである妹も、姪ほどの才能も学歴もないのに、同じ位の年齢で発症してから35年も生き永らえています。姪と同じく芸術を志向し、目指して来ました。

    姪は自らの命を絶つことで、暗黙のメッセージを残したと思います。

    「精神疾患を患ってまで生きる価値はない」

    という。

    私も死ぬつもりでしたが、この35年間、苦しみもありましたが、幸福はその2倍はあったと思います。

    「死ぬのか、生きるのか」と今でもしばしば自らに問いかけますが、生きることを、われわれは肯定するしかないと思います。

    生きている限り私達は毎日毎時毎分毎秒「何か」を常に創造し続けているということが真理であると受け容れるからです。この真理はDilettanteさんに教えていただいたものです。

    姪と同じく自分が自殺してしまったら、同じように悩みながら歩いている後進たちを始めとする多くの志を抱く生命たちを、ひいては苦しみながらも今を生きている生きとし生けるものたちの生命をむげに否定することになると思います。

    それは生命あるものに対する勝ち目のない挑戦状ではないでしょうか?

    私はそんな挑戦は避けて、もっと勇気を持つべき挑戦があるように思います。

    • Dilettante Dilettante より:

      まささん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      まずなにより、あなたがご自分でも様々な葛藤や苦悩を経験し続けたうえ、

      姪は自らの命を絶つことで、暗黙のメッセージを残した

      ことも真正面から受け止めながらも、なお

      この弱い肉体に生命が植え付けられているのは、それ相応の意味があるはずだと思います。

      「死ぬのか、生きるのか」と今でもしばしば自らに問いかけますが、生きることを、われわれは肯定するしかないと思います。

      姪と同じく自分が自殺してしまったら、同じように悩みながら歩いている後進たちを始めとする多くの志を抱く生命たちを、ひいては苦しみながらも今を生きている生きとし生けるものたちの生命をむげに否定することになると思います。

      それは生命あるものに対する勝ち目のない挑戦状ではないでしょうか?

      私はそんな挑戦は避けて、もっと勇気を持つべき挑戦があるように思います

      という想いに身を置いていられているということを、私は心から尊敬します。

      そしてまたそれ以上に、

      私も死ぬつもりでしたが、この35年間、苦しみもありましたが、幸福はその2倍はあった

      とおっしゃるその事実こそが、なによりかけがえのない希望であり、力だろうとも思うんです。

      ですからあなたが今もそうして生き続けてくださっていること、そしてそれをここで私(たち)ともわかち合ってくださったことを、本当に本当に、ありがたく思っています。

      そしてもちろんこれは私自身にとっても大きな励みになりましたし、だからこそ私も私なりにこの人生を、自ら飛び込んだ挑戦を全うできればと、そう思っています。

      どうぞ、よろしくお願いします。

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