「ありがとう・愛しています・ごめんなさい」。こうした言葉が大切だと言われる意味を、改めて考えていた

言葉には力があって、それはその言葉を直接に伝える相手だけでなく、それを発する自分自身、さらには世界や人生そのものにまで大きな影響を与えるという考えがある。こうした思想や立場は

「言霊(思想)」

とも呼ばれ、私も個人的に賛同しているものである。

だからこそ、こうしたことについてはここでも何度となく触れてきたし、たとえば

なんかはその最たるものだと言えるだろうが、そんなふうにそれぞれに様々な「言霊」(エネルギー)の存在を認めたうえでも、だからこそ

「特に大きな力、つまり相手や他者、それに世界や人生にいい影響を与える力を保つとされる言葉」

がいくつかあると思う。だからそうした観点から

「ありがとう・ごめんなさい・愛しています」という言葉を何度も自分に言い聴かせれば、すべては必ず好転していきます

というようなことを耳にしたことは、1度くらいはあなたにもあるのではないかと思うし、私もそうだ。そして私も基本的にはこうした意見に強く反論する気もないのだが、だからこそこうしたことに対する今の私なりの想いを改めて見つめなおしながら、ここであなたとも共有したいと、そう思うのである。

するとまず最初に、

それってつまり、いわゆる「オポノポノ」(ホ・オポノポノ)ですよね?

と思うひとがいると思う。そう、確かにこの言葉の組み合わせは、たとえば

といったページで紹介されているものとほとんど同じであり、だからこそこれは別に私の発案でもなんでもない。ただ私はここで書かれている

「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」

という言葉のうち、

許してください

だけは意図的に除いているのだが、これは私が

「ゆるしてください」という言葉は取りようによっては「私も心から謝ったんだから(ゆるしてほしいと思っているのだから)、あなたももうそろそろゆるしてください」というような「ゆるしの催促・強要」だと受け取られる場合があるし、そもそもたとえこちらがどんなに謝ったとしても、それをゆるすかどうかは相手にしか決められないんだから、それを「要求・懇願」することで逆に「相手への攻撃・圧力」になることだってあるんだ

という考えを保っているからである。そして、実のところ私は

「愛しています」

についても似たような気持ち、つまり

もし「なにを愛と見なすかは受け手が決める」という考えを採るなら、相手に「愛しています」と言い続けることも、「ゆるしてください」と同じように「愛してください」という「圧迫」と捉えられる余地があるんだ

という想いを抱くときがある。だから私も別にこの2つの言葉の意味や力を軽んじているわけではないのだが、だからこそ

この言葉は、少なくとも今の私が多用するには扱いが難しすぎる

という観点から、

遣うとしてもこれは「相手に直接伝える」のではなく、基本的には「心のなかに静かに秘めておく」ほうがいいのではないか?

と思うようになったために、個人的にはそれを反映した解釈・実践になったということなのである。

ただ、こうした私の考えに対して

それを言うなら、じゃあ「ごめんなさい」にも押し付けがましいところはあるんじゃないですか?

という疑問を抱くひとも出てくると思うし、私もそこには一理あると思っている。だからそうなると残るは

「ありがとう」

だけになり、全員がこうした思考過程を辿ったかどうかは別にしても、実際に

あらゆる言葉(言霊)のなかでも最強最高なのは、「ありがとう」です。だからこの言葉を、たとえひとりで呟くかたちでもいいのでできるだけ多く遣えば、絶対にすべてがうまく行くようになるんです

と言うひとはたくさんいると思う。だからここでこの

「ありがとう」

について、もっと掘り下げて考えてみようと思う。

すると私にはまず、

自分の心を浄めようと思って「ありがとうございます」と唱え続ける実験をやってみたことがあるのですが、実際に25万回に達するところまで行っても、私に効果は感じられませんでした

と伝えてくれたひとの言葉が蘇ってくる。さらにこのひとは

少なくとも私が「ありがとうございます」をひたすら唱え続けることは、むしろ「これで人生をよくしてやろう」という「卑しい下心」を強めるだけだったので、失敗したのもしかたがないところだと思います

という趣旨の実感を伝えてくれていたのだが、私もそれには強く共感すると言うか、私自身その罠に嵌まることを回避できる自信がないから、わざわざやってみようとも思わないのだ。だからそんな私としては、

確かに「言葉で心を先導する」ということもできるし重要な技法のひとつだと思うのだが、特に「ありがとう」のような言葉は「よくも悪くも強すぎる」から、それを「意図的に利用」しようとするのはなかなか難しい。だからそれはあくまでも「自然に湧き上がってきたときに、心を込めて遣えばいい」ということなのではないか?

と、個人的には今のところそんなふうに考えているのである。

そしてもしこうしたことを踏まえて考えを進めていくとすれば、それはいずれ

じゃあどうすれば、こうした「強い言霊」を本当の意味で素直率直に、余分な衒いも駆け引きもなく、いちばんいいかたちで自然に遣えるようになるんだろうか?

という問いに突き当たることになるのではないかと私は思う。そしてだからこそ今の私はこの問いに対して

じゃあこれは結局、「自分は本当はもっと『ありがとう』と感じるべきことがあるのに、それに気づかずに見過ごしているのではないか?」という疑問を保ち続けることが大切だということになるのかもしれない。それが、すべての核心にあるのかもしれない

と思うのだ。そしてさらに言えば、

じゃあこれは別に「ありがとう」に限ったことでもなく、他のいろいろな言葉・想いについても同じことが言えるんじゃないか?

ということ、それが今の私が保つ、最新の見解なのである。

こうした想いを踏まえたうえで、ここでまた違った視点から見てみると、これは言い換えれば

「ありがとう」や「ごめんなさい」、あるいは「愛しています」という言葉や想いを噛み締めきらないままに人生を終えたら、それは自分にとっての大きな後悔になるのかもしれない。だからこそこんなにも多くのひとが「こうした言葉・想いに特に強い力がある」と、直感的に理解しているのではないのか?

ということなのだ。そしてたとえ様々な葛藤や立場の違いを踏まえたうえでも、やはりひとつ

「ありがとう」や「ごめんなさい」、あるいは「愛しています」という言葉を心の底から言おうとすれば、それは自分の心や経験と真摯に向き合うことなしには、絶対に不可能だ

ということだけはおそらく間違いないだろうと、私は思うのである。だから私もやはり、こうした言葉に強い力や影響力があることには強い確信を保っているし、だからこそ

私もちゃんとこうした想いと向き合っていきたい

という思いを、改めて強くしたのである。

ただそれでも少なくとも私個人としては、やはりさっきも言ったように

愛しています

と相手に何度も頻繁に言うのには躊躇いがあるし、

ゆるしてください

についてはなおさらだ。私は、あなたにゆるしを乞える立場にはないのだから。

だがたとえそんな私でも、だからこそ

ありがとう

だけは、せめて何度でもあなたに伝え続けたいと思う。だって私は本当に、あなたに心から感謝しているのだから。

でもだからこそ、私はまだ

ごめんなさい

という気持ちを、あなたに伝え足りないのかもしれないと思う。いや、でもこれはやはり押し付けにもなるから、直接言えばいいということでもないのだろうと思う。だってそれで傷ついたのは、私以上にあなたのほうなのだから。

でもこうしたすべての葛藤や迷いも踏まえたうえで、だからこそせめてここでくらいは、素直な気持ちを書いておきたいとも思うのだ。だってこれは本当に、私が思っていることなのだから。

私に愛を教えてくれて、本当にありがとう。私はあなたを確かに愛しています。でもだからこそ、こんな愛しかたしかできなくて、本当にごめんなさい。だから私はあなたに「愛しています」とはうまく言えないから、だから代わりにもっと言いやすい言葉に換えて、なんとか言葉にしよう。どうかこの世界が、もっともっと素晴らしくなりますように。どうかあなたがいずれもっともっとラクに生きられるようになりますように。でもそれでも伝えきれない想いは、やっぱり静かに心に秘めよう。それは確かにここにある。でも今はまだ、言葉にはできそうもないから。

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