「たとえ目に見えるものが奪われたとしても、そこには目に見えないものが必ず入ってくる。だからだいじょうぶだよ」。そう言う彼の言葉と想いは、とても優しかった

私たちの本質は霊(魂・エネルギー・想い)である。だがだからこそ私たちは今こうして肉体界に直接関わるために、様々な存在の協力のもと期限付きで借り受けた肉体に宿ってここにいる。そしてさらに重要なことは、

今のような社会にあっては、そもそもこうした認識自体がまったく共有されていないどころか、むしろはっきりと否定されている

ということだ。だから当然そうした社会のもとで数十年、いや十数年生きただけでも充分に、私たちは本来の「霊意識・霊的感覚」の存在や活かしかたをほぼ完全に忘れ去って、一方の「肉体意識・肉体感覚」にのみ偏った世界認識を保つようになる。つまり、

なにがあるのかないのかの判断基準は、「それを肉体感覚で捉えられるか」(目に見えるか・耳に聞こえるか・肌で触れられるか……)という観点がほとんどすべてになる

ということだ。

そしてこれは実のところ、今のあなたが思っているよりずっと重要で、またある意味ではずっと「深刻」なことでもある。つまりもし誰かが勝手にあなたの家からなにかを奪い取ったり、あるいは財布から少しずつ少しずつ現金を盗んだりしたら、あなたはいつかはきっとそれに気づくだろう。そうすれば当然あなたは怒るだろうし、それだけでなくその相手は公式・社会的に処罰されることになる。これはあなたにとっても、ごく当然のことだろうと思う。

だがもしこれが、

「目に見えない・肉体感覚では捉えられない・あなたに認識できない方法」

だったらどうだろう?つまり

もし誰かが、あなたのエネルギーを少しずつ奪い取っていったり、あるいはあなたの食べものからエネルギーを削り落としていったり、あなたがよく遣っているものに負の念を染み込ませていったとしたら、あなたはそれにちゃんと怒る(抗議する・抗う)ことができるだろうか?

と問われたら、今のあなたはどう答えるだろうか?

そう、だから私はさっきこの現状を「深刻」と言ったのである。それに以前から

と言ってきたのも、結局は同じことなのだ。相手、そしてその周囲のひとたちをまるごと「無感覚」にしてしまえば、自分たちは相手から「抵抗される」ことはもちろん、認識されることもないまま、好き放題に暗躍できるのだから。だから私はこの現状を、このあまりにも深刻な状況をなんとか変えていきたいと、ずっとそう思い続けているのである。

とはいえ、こんなことを思っている私自身も、一方で今はまぎれもなく肉体人である。つまりなんだかんだ言いながら、少し油断したり弱ったりするだけで、私もすぐに「肉体的感覚」に囚われてしまう。たとえばからだの調子が悪くなったり、あるいは収入が減ったり不意の出費が嵩んだりして経済的に困窮したり、たとえそこまでではなくても、たとえばものを落として壊したりちょっとなにかを失くしたりしただけでも、私だって充分に落ち込む。ましてそういうちいさなことが一気に重なったときにはなおさらだ。それはあなたも私も、誰だってそうだと思う。私たちは、肉体人なのだから。

そして私にも当然そうした経験は数え切れないほどあるし、もちろん今年に入ってからも、昨今の流れを見ながら、これからの私たちの未来について、なんとも言えない切なさや寂寥感のようなものを感じる時間が続いていた。

だがそんな私に、突然ある霊が話しかけてきた。彼は優しく穏やかに、それでいて静かな明るさと情熱を帯びた声で、

たとえ目に見えるものが奪われたとしても、そこには目に見えないものが必ず入ってくる。だからだいじょうぶだよ

と、強く言い切ってきたのである。

私はそのとき確かにかなり弱っていたので、そこに彼の優しくあたたかいエネルギーが入り込んできたことは、実際に私にとって大きな助けになった。だがだからこそ、私はその彼に、率直な想いをぶつけることにしたのである。

でも、この肉体世界では、特に今のような肉体人にとっては、目に見えるものがほとんどすべてなんだよ。だからお金がなくなったり、部屋を維持できなくなったり、それに大切なひとと別れることになったり、ましてそれを「理不尽に奪われた」としか感じられないときにはさ、いくらそこに「目に見えないもの」がこれでもかこれでもかって入ってきてたとしても、やっぱりそれはほとんどなんの足しにもならないと言うか、少なくとも「足しには感じられない」んだよ。だってそれは文字どおり、「目には見えない」んだから

そう言う私に、彼はその柔和な表情を崩すことなく、しかしやはり強い情熱を感じさせる声で、

そう、だから、あなたの人生や存在にも、かけがえのない大きな意味があるんだ

と、そう言ったのである。

そして私が理由を促すより早く、彼は続けた。

あなたは「目に見えるもの」を、それほど多く持ってはいない。もちろんそれは誰とどう比較するかにもよるけれど、でもあなたの「目に見える状況」は、おそらく今の多くのひとにとって、少なくとも「そんなに羨ましいもの」ではないだろう。けれどあなたは本当には、「目に見えない財産や力」を、多く持っている。それに実際私はあなたの心の在りさまを、そこにある多くの宝を見て、確かに羨ましいとも思うんだ

と。しかし私は、やはりこれも素直には受け止めきれなかった。だから

この私の心の在りかたが羨ましいって、ちょっとそれ本気で言ってるの?

と強めに問いかけたのだが、それでも彼は、

もちろん。言い換えれば私はあなたの心の在りかたをとても尊く、かけがえのないものだと思っている。だから私は今こうして、心からの親愛の情とともに、あなたに話しかけているんだ。そして私は願わくばあなたにはずっとその美しさを失わずに育んでいっててほしいと思う。だからこそ、たとえあなた自身がなんと言おうと、私はあなたの今までとこれからに、心からの賛辞と祝意を送りたいと思う

と、まったく動じることなくそう言い切ったのである。

だから私は、もう必要以上に強く言葉を張り上げることもなく、静かに彼に問いかけた。

私はちゃんと、私の役目を果たしきることができると思う?

すると彼はやはり、

思うよ。あなたの生涯をかけた生き様は、あなたの願いどおり、あなたに関わる多くのひとの価値観を揺らし続ける。そしてそこにはもちろん、あなたの最期の死に様まですべてが含まれている。だからこそ、あなたはあなたの信念と情熱を、どうか護り抜いてほしい。「目に見えるものがないなら、なにもないのと同じだ」と言われ続けても、あなた自身さえそう思いそうになるときがあっても、どうかそれに負けないでほしい

と、静かにあたたかく言うのだった。そしてそれだけではなく、

それは今の私にはまだできないことだ。私があなたの立場だったら、この状況で肉体人としてそこに居続けていたら、私はあなたのようにはいられない。だから私はそもそもあなたのような人生は選ばなかった。そしてだからこそ、私はあなたが今までやこの先にどんな「失敗」をしたとしても、それを責めることは絶対にしない。でもあなたなら、あなたの人生を完遂できる。あなたは絶対に、負けるべきでないものに負けたりしない。あなたは、他の誰でもない、あなたなんだから

と、そんなことを言い添えるのだった。これには私も笑ってしまったのだが、でも確かに私はやはり、彼に励まされたのである。

不意に始まった彼との対話は、こうして終わった。ただ彼の意図がどうであれ、私はこの言葉を私だけの心に留めておくのはもったいないと感じた。だから私はこの言葉を、そのままあなたとも共有したいと思ったのだ。だって私もあなたと変わらない、肉体人同士なんだから。

とはいえ一応霊媒でもある私自身でさえ、こうした考えかたをいつも保ち続けるのは容易ではないのだから、それはあなたにとってはなおさら難しいことだと思う。だがそれでもこれは本当には、

「私だけに向けられた言葉・智慧」

ではないのだ。だから私はとにかくここに、この対話を記録しておこうと思うのである。

この世界は今のままではいけない。だからどうしても、変わらなければいけない。ただ「変わる」ということは、単に「新しいなにかを得る」ということではない。つまりそれは結局のところ

「必要に応じて様々なものが入れ換わる」

ということなのだ。

「新陳代謝」

というのも、そういうことなのである。

だからそのなかでは、一見「なにかが失われた」と思うときもあるだろう。それどころか、「理不尽に奪われた」と思うことさえあるかもしれない。しかしそれでも本当には、失われたものがあった場所には同じくらい、あるいはそれ以上のなにかが、いずれ必ず入ってくるのである。もちろん、苦しみの渦中にいるときに、それを信じ切ることは難しい。それは私だって充分わかっている。ただそれでもせめて

今の自分が気づいていないだけで、本当は私にもなにかが入ってくるのかもしれない。それにもしかしたら、もう入ってきているのかもしれない

と、その可能性にほんの少しでも心を開いておいてもらえたら、私も本当にありがたく思う。

そして私も自分で言っておきながらぜんぜんうまくできないことは多々あるのだが、それでも私なりに、なんとか努力を続けていこうと思っている。彼が「できる」と言ってくれたことを、私自身が「できない」と言いたくはないから。というか本当にやりたいのは、そうできる自分でありたいのは、誰よりも私自身なんだから。だから私はそんな私を励ましてくれるあなたにも、いつも心から感謝している。

本当に、ありがとうございます。そしてこれからも、どうぞよろしくお願いします。

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  1. 小鳥遊 より:

    脚光を浴びた表現者や発明家は誰からも変人扱いされたり、避けられたりしても、自分の信じ抜けられるものがあり、それが好きで好きで、或いはどうしてもやりたい理由があってそれを続け、世間から熱い賞賛を受けるということが歴史的にはよくある事の様に感じますが、なんていうか、アレですね。その人が所謂”本物”かどうかというのは世間や周囲の評価や意見に流されないところにあるのかもしれませんね。
    純粋な気持ちで一生懸命楽しんでいて、道中辛い事があってもそれでも楽しむためにこらえて、その姿が世間様からはものすごい努力の様に見えてしまい、ごらん、努力や忍耐はとても大事なんだよ、と子供にもそれを求めますが、面白い事に成功者としてのその人と等身大のその人って面白いくらいに差があるんですよね。
    僕が何が言いたいかって言うとあなたは”本物”だって事を言いたいんですよ。
    あなたはおそらくこの地球ではある部分ではとても優れた人だと思うんですよ。
    直感や感性が優れた僕が言うんだから間違いありません笑笑
    実は僕は今日、下らない事で喧嘩しました。
    ここで書く必要もない内容ですが、なんというか人ってホントに弱くて流されやすいんだな、と思うんですよね。
    気づいたら怒っちゃっているんだもん。
    それで謝る事さえ上手くできないんだもん。
    地球の裏側の飢餓だの地球の為の霊的覚醒だのよりまず第一にそっちでしょうに。
    大望ばかりに踊らされて、理論武装ばかりして周囲さえ何とかできないのはどうなんでしょうね!!
    そのくらいに人って弱くて無知なんだ。
    僕はそれでも世界の事が知りたいというか宇宙とシンクロしたいんです!!覚醒という描き方は嫌いです笑
    そうすれば怖くなくなるから。幸せを知れるから。安心と調和と幸せが欲しいんです。
    長くなりましたが、あなたは誰もが知る有名人やらとんでもない人物やらになると思いますよ。辛く苦しい下積み程、人を化けさせるものはないですからね。
    長くなりましたが、こんな事しか書けないのもなんだか嫌ですね。知人だったらある程度は助けてやれたかもしれないのに。
    でもネットで会えただけでも良いかもしれません。僕はあなたには少しは救われています。
    本当にいつもありがとうございます。

    今日はこのへんでお休みなさい!!

    • Dilettante Dilettante より:

      小鳥遊さん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      僕が何が言いたいかって言うとあなたは”本物”だって事を言いたいんですよ。
      あなたはおそらくこの地球ではある部分ではとても優れた人だと思うんですよ。
      直感や感性が優れた僕が言うんだから間違いありません笑笑

      そうですか、あなたにそう思ってもらえていること自体はとても光栄なんですが、でも実際には、私もけっこう一喜一憂しているので、

      世間や周囲の評価や意見に流されない

      とまでは言い切れないと思うんですけどね。

      それにいずれにしても、私が

      あなたは誰もが知る有名人やらとんでもない人物やらになる

      ことはないと思うんですけどね。だってそもそも、私は表に出る気もないんですから。だからあとは「相手が私を見つけに来る」以外にはないかと思うんですが、そんなひとがそうそういるとは思えないんですけど、どうなんでしょうね?

      でもまぁ、いずれにせよ私としては

      私のことを知りたいひとに知ってもらえればそれで満足

      なんですけどね。

       

      と、それはそれとして、

      実は僕は今日、下らない事で喧嘩しました

      とのこと、本当におつかれさまでした。

      なんと言うか、

      毎年毎年クリスマスシーズンになると、ひとの念や全体のエネルギーの浮き沈みが激しくなって、けっこう大変だなぁ……

      という実感は、私にも強くあります。

      全体的に楽しげで明るい雰囲気が、そこに乗れないひとの劣等感や嫉妬を強める

      という面も確かにあるだろうとは思いますが、

      それなら「バレンタインデー」とかだってもっと(クリスマスと同じくらい)大変でもおかしくないはずなのに、なんでクリスマスシーズンはこんなに強烈なんだ?

      という疑問が出てくるので、それも踏まえれば

      クリスマスは「全世界的で大がかりなイベント」であると同時に、もちろんそこには「宗教的要素」が含まれる。そしてさらにそれからわずか1週間ほどで「新年」を迎えるせいで、「お祝いムード」が立て続けに襲ってきて、そのなかでの格差(嫉妬や惨めさ)を煽り立てるきっかけにもなる

      というような話(仮説)が成り立つのかもしれないとは思います。

      しかも日本も含めた北半球の場合、クリスマスは冬で夜が長い時期ですからね。寒くて暗いだけでも、つらさ苦しみは際立つわけで。

      だから私のほうもなかなか大変な日々でもありましたが、もちろんまだ油断はしないとしても、とりあえずいったんはここまでのお互いの健闘を讃え合いたいと思います。

      改めて本当に、おつかれさまでした。

       

      それにあなたは

      長くなりましたが、こんな事しか書けないのもなんだか嫌です

      などとおっしゃいますが、私はあなたの言葉と気持ちにとても励まされましたし、そんなあなたから

      僕はあなたには少しは救われています

      とおっしゃっていただけるなら、それがなによりありがたいです。

      こちらこそ本当に、ありがとうございます。

      そして今夜も少しでも、ゆっくりおやすみなさい。

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