闇理昇燈。この時代をともに生きるあなたに、私からのささやかな贈りもの

2021年も、あと数日となりました。いかがお過ごしでしょうか?

私はと言えば、今改めて1年を振り返って、

今年も、いろいろあったなぁ……

としみじみ思います。

言いようのない感情に叫びたくなったときも、未来を信じられなくなりそうなときも、予想もしない方向からの攻撃に絶望しかけたときもありました。精いっぱい考え抜いたのに結果が出なかったことも、いろいろ準備したことがほとんど意味を成さなかったことも、もしかしたら、今日が今生最期の日になるのかと思った日もありました。

ですがそうしたすべての瞬間を通り抜けて、私は今もここにいます。そしてそれはあなたも同じでしょう。だから私もまずはそのあなたの苦闘葛藤に、心からの労いを手向けたいと思います。本当に、おつかれさまでした。

ただもちろん、これですべてが終わったわけではなく、むしろいよいよ2020年代もウォーミングアップを終えて「2」を迎えるのですから、その真価が発揮されるのはむしろ来年以降からだと言ってもいいだろうと、私はずっと思っています。そして、別に「特別な視点・感覚」に依るまでもなく、そこでは様々な意味での「激動・大変化」が続くだろうというのは、誰でも薄々感じていることだろうと、そう思うのです。

そして前から言っているように、この『闇の向こう側』も、来年の1月末に丸10年を迎えます。それは私にとっても、そしてここに関わり続けてくださったあなたにとっても、間違いなく大きな節目になるものでしょう。

ですからそうした情勢や感慨をすべて踏まえたうえで、実は私は今日あなたに、ひとつささやかな贈りものを用意しました。とはいえそれは「もの」ではなく、それどころかはっきりした効用すらわからない、曖昧なものにすぎません。ですからそれがあなたに喜んでもらえる保証はどこにもないですし、そもそもその「存在」を感じて(信じて)もらえるかどうかもわからないのですが、こんなことを延々と言っていても始まらないので、ともかくお伝えしてしまいましょう。今回私はあなたに

「闇理昇燈」(あんりしょうとう)

という言葉・言霊をお贈りしたいと、そう思うのです。

人間(人類・ヒト)の特徴は、言葉を自由に扱えるということだ

という認識・立場にいるひとというのは昔からたくさんいると思いますが、確かに私たちは自分の想い・イメージを周りに伝えるときに、言葉に頼ることも多いでしょう。そしてそうやって言葉にするということは、

「曖昧でぼんやりとしたイメージを、具体的に肉付けしていく」

というプロセスを促すことでもあります。ですからその意味で

言葉は実体の始まりであり、実体(エネルギー)そのものでもある

というのは重要な認識だろうと私も思うのです。たとえば私たちひとりひとりに付けられた「名前」が、まさにそうであるように。

ですからこの

「闇理昇燈」

も、私が突然生み出したものなのですから当然、あなたにはまだなんの馴染みもないでしょう。ですがだからこそ、私がここにどんなイメージを籠めたのかを、少し説明したいと思います。

この『闇の向こう側』の最初期に

と書いたように、私は世界の根源は闇だと今でも思っています。そしてそこから生まれた(分化した)「光」は、言い換えれば「情報」だとも言えると思うのです。

情報は集まりつながると「世界観」を構築し、それを基にした「世界」を築いていきます。そしてそこから生じる様々なうねりや相克、そして融合と変化を潜り抜けた結果として、今の世界もあると言っていいだろうと思うのです。

しかしだからこそ、

今はその「情報」があまりに多く、もはや収拾がつきそうもないほどに拡散したことで、世界は文字どおり「分裂」し、大混乱に至りつつあるのではないか?

とも、私はずっと思っています。

そして

もしそうだとすれば、いずれ必ず闇がその混乱を鎮めるときが来る

というのが、私の一貫した立場なのです。

ですからもし私のこうした考えが間違っていなければ、世界はこれからますます、闇に覆われることになるでしょう。それに実際、今も既にその流れを感じているひとも多いのではないかと思います。

ですがそれは決して「絶望」を意味しないのです。この闇は「私たちを破滅させるため」に私たちを包もうとしているのではないからです。そうではなくて、これはただただ

よくよく眼を凝らして、本当に大切なものがなんなのか、もういちどよく考えてほしい

と言われているだけなのです。光(情報)がノイズになってしまったなら、それはもはや「邪魔」でしかないから、その「狂騒」はいったん鎮めなければいけません。「楽しい時間」と「乱痴気騒ぎ」、それに「自由」と「暴走」、そして「焦燥感」の区別がつかなくなったなら、それはいったん動きを止めて、静かに休むしかないのです。だからこの世界には昼と夜が必要なんだと、私もずっと、そう思っているのです。

ですがいくらそう言われても、慣れないものは怖いでしょう。だからそんなときにもしよかったら、この

「闇理昇燈」

を思い出してみてください。

「真っ暗闇を照らすランプ・燈台」

というイメージ・エネルギー、これが私がここに織り込んだ核のひとつです。

だからあなたがこの言葉に意識を向けるとき、それがあなたの魂の灯火を思い出させる助けになることを、私は心から願っています。

そしてこの言葉にはもうひとつ、同じくらい大切な意味・エネルギーが籠められています。それは

「闇理消灯」

であって、これはつまり

「私たちの心を煽り乱すだけの『余計な光』を吹き消す」

というような意味を籠めたものです。

ですからこの2つの核が響き合ったところに、私がこの

「あんりしょうとう」

に籠めた真価(願い)があるということであり、私はここに縁のあるあなたにも、今までの様々な想いを託してこれを贈りたいと、そう思うのです。

ただ実のところ、この言霊はまだまだ未熟であり、現時点でそれほど大きな力を保っているわけではありません。私がこれを織り始めたのは今年の春くらいからなので、今までにもそれ相応の時間をかけて想いを注ぎ込んできたことは事実なのですが、とはいえ私独りが半年ちょっと育てたくらいでは、まだまだたかが知れているのも確かです。

ですからやはりこれはそこまで大きな贈りものとは言えないでしょうし、そもそも私がここでやっていることは、特に今のような社会のなかではなおさら、

あると思えばあるけど、ないと思えばない

と言うしかないものであり、その「意味」も「力」も結局は「吹けば飛ぶようなもの」にすぎないということは、私が誰より強く自覚していることなのです。

ですがそれでも、私はせめてあなたに心を込めてこれを贈ります。そして

もしあなたがここに「意味」を見出してくれるのであれば、どうか一緒にこれを育てていってください

と、私はあなたにお願いしたいのです。

独りではできないことも、一緒にならできる。すぐにはできないことも、時間をかければできる。すべてが完成する日は来なくても、だからこそすべてのものは、無限に味わいを深めていく

と思っている私に多少なりとも縁があって、まだここにいてくれるあなたになら、きっとこの贈りものを私以上にうまく活かし育むことができるはずだと、私はそう信じているからです。ですからどうぞ、よろしくお願いします。

除夜の鐘では私たちの煩悩や苦悩は消えず、都合のいい贈りものをくれる「サンタクロース」も来ないとしても、それでも私たちは、まだ生きていかなければいけません。だから願わくばそこに少しでも、喜びをあたたかさを添えることができますように。未来は私たちが創り育むものだということを、私たちが誇りと勇気を保って、受け容れることができますように。夜の闇があなたにとって恐怖や不安ではなく、あたたかさと安らぎを与えるものとなりますように。そんな心からの願いとともに、本年2021年最後の文章を結びたいと思います。

今年も今までも本当に、ありがとうございました。

そしてこれからも、どうぞよろしくお願いします。

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  1. チヨ より:

    初めてコメントします。
    落ち込むとここに励まされに来ています。

    私には霊が見えませんし、感じませんし、管理人さんのご苦労は想像ができないのですが、
    家族が重い統合失調でずっと入院しているので、見てる世界聞こえる声が違うために苦労されている人がいることは感じています。

    (ちなみに、時々管理人さんはご自身を見る人によっては統合失調に分類されるかも、と書いていらっしゃることがありますが、患者の家族からすると、管理人さんはとても筋道立ててお話をするのが上手で、いつも他人に生きてほしい、という優しいメッセージが一貫していて、これは病気とは違うな~と感じています。
    他人の心配をするスペースがなくなりがちというか…あくまでうちの場合ですけれど)

    理解されにくい中で生きるのは大変ですよね。
    そんな中でいつも優しいメッセージをありがとうございます。

    素敵な贈りものをありがとうございます。
    胸に受け取り、己の中で育ててみようと思います。
    良いお年をお迎え下さい。

    • Dilettante Dilettante より:

      チヨさん、ようこそ、闇の向こう側へ。

      時々管理人さんはご自身を見る人によっては統合失調に分類されるかも、と書いていらっしゃることがありますが、患者の家族からすると、管理人さんはとても筋道立ててお話をするのが上手で、いつも他人に生きてほしい、という優しいメッセージが一貫していて、これは病気とは違うな~と感じています。

      そうでしたか、私も立場上こうしたことについてはずっと考え続けているのですが、現代的な意味での

      「病気」

      というのは、字義的な

      「気が病んでいる」

      という意味以上に、むしろ

      「異常」

      という言葉で置き換えられるような意味合いが強いものなのではないかと思っています。

      そのうえで、こうした言葉と対になる概念が

      「健康」(正常)

      なんだとしても、それも実のところとても「社会的な概念」になっていると思うんですよね。

      つまり

      ある集団における「正常」や「健康」というのは、実のところその場における「多数派」(普通)の概念とほとんど同じものではないのか?

      という意味でです。

      そうするとそこからは逆に

      それなら「病人」や「患者」、それに「異常(者)」というような概念にも本当にはたいした意味はないんだ。だからもしそのひとが「異常(普通ではない状態・病気)と共存できている」のなら、そのひとは周りから見れば「正常」(健康)にしか見えないだろう

      ということ、そしてさらに言えば

      もしある種の異常(病気)が多数派に共有されている社会(環境)があるとしたら、その異常はそこでは「正常」(健康)としか捉えられず、問題視されないだろう

      ということさえ言えるのではないかと、私は思っているわけです。

       

      ですからそんな私としては、

      今私がこの「異常」を抱えながら世間に交われているのであれば、本来ならあなたのご家族にもそうなれる可能性があるはずだ。だからいずれこの社会(世界)の無理解が晴れれば、そのときは間違いなく病院からも解放される

      と、実際のところほとんど確信に近い想いを保っています。

      なのでその実現があなたのご家族の存命中に間に合えばなによりですし、そのときは私も一緒にその喜びをわかち合えたらと思っていますが、たとえそうできなかったとしてもそのときはそのときで、向こうで白湯でもお茶でもそのひとの好きなものをご一緒できたらと、そう思っています。

      心とからだの安定のためには、筋肉の緊張と冷えは大敵ですからね。

      そしてもちろんあなたご自身もいろいろ大変なことはあると思いますが、どうか少しでもあたたかくしていただければと思います。

      どうぞ、よろしくお願いします。

  2. ゆきうさぎ より:

    Dilettante様

    忘れた頃にフラリと来て足跡を付けていくゆきうさぎです。
    今年もお世話になりました。

    私は相変わらず、元気な時も落ち込んだ時もこちらに日参してDilettanteさんの文章に励まされながら生きています。
    今日は一年の締めくくりの日なので、今年UPして頂いた記事のタイトルをザッと読み返して、改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

    常に

    「全ての人がしあわせになる為に生まれてきたんだ。その為に生きる未来がいつか必ずやってくる」

    と説きながら、相反する厳しい現実に苦しむ日も多々あったはずなのに、それでも心折れずに前を向き続ける。そのお姿に自分を照らして

    「私は?まだ大丈夫?うん、苦しいのは私独りじゃないからもう少しやれる、頑張ってみる!」

    とカラ元気もイイところなのにファイティングポーズを取ってみたりしてなんとか日々を乗り切ってきました。

    そんな私でも、どうしても立ち上がれない日もあって、眩しい光の方に歩いていく気力がなくて、暗闇の中でじっと蹲っていることも多く…そんな時には

    心を燃やせ!

    で有名になったキャラのセリフも普段はすごく刺さって勇気をもらえるのに、負の感情でパンパンになった時の私の心への投下燃料にするには、それ自体が力があり過ぎて、動き出せない自分に自己嫌悪して更に落ち込んだりして。。。

    闇理昇燈

    これは、良いですね。響きも優しくて心地好い。
    動けない時にはジタバタせずにじっとしていて良い。次のステップに進むも進まないも、時には戻るも、そのタイミングは自分で決めて良いと肯定されている気がして、呼吸がしやすくなるような安らぎを感じます。元々私は、一切合切を陽気に強烈に容赦なく照らす昼の太陽も嫌いではないけれど、思索の邪魔にならない優しい月明かりをそっと見上げながら過ごす夜の闇の方が落ち着く方なので。

    ・・・ここまで書いて、私がなぜこちらのサイトに惹きつけられて、ずっと定住しているのか、わかったような気がします(遅いですよね、汗)
    Dilettannteさんが紡ぎ出す優しい言霊で溢れたここは、私の精神安定剤です。心を込めて贈って頂いた【闇理昇燈】を、自分なりに咀嚼して、大切に育てながらまた頑張っていこうと思います。

    今年も1年本当にありがとうございました。
    どうか御身お大切に、来年もよろしくお願い致します。

  3. だれか より:

    1月10日に夢を見た
    楠木正成公の夢だった
    1月17日にプロポーズせよという声を知った。
    1月11日にもっとすごい夢を見た。
    やるべきことがわかった気がした。
    1月12日にふと気になったワードを調べたら
    まさかのこのブログに繋がった
    このブログに関連するような内容ではさしてないワード検索だった。
    不思議と、暗理昇燈の言葉こそ知らねど、たまたま巡り合わせか似たようなことを考えていた。
    それが記憶が正しければあ1月9日。

    私はここのところ「こんなことがあるんだなぁ」が連発していたので今日もまた驚きました。
    勇気をもらいました。
    先祖を大切にしていきましょうね。
    愛に生きていたいと強く願いました。

    箇条書きで、内容もぼかしてすいません。
    デジタル上では難しいことも世の中あるのですね。

    名前も残しません。返信も不要です。
    貴方に祝福あれ。

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